第73回「○○道 ~タオを探究~」

第73回 探究型学習コース実施!
 
【アイスブレイク】
・自己紹介
・私、こんなことしてる人です
・仕事、部活、習い事、趣味、学問…などあなたが取り組んでいることのコツは??
 
【インプット】
・「○○道」と呼ばれるものが身の回りにはたくさんある
柔道、剣道、弓道、茶道、華道、香道…etc
 
・例えば武道は
礼を修め、技を磨き、身体を鍛え、心胆を練る修行道・鍛錬法であるといわれている→人格形成に貢献
 
・芸道のプロによる「道」の解釈
道とは結果ではなくプロセスである。「○○道」の道とは、それを媒体に学び続けることを通して自らの生き方や自然の悟りを得るための道
表千家茶道・池坊華道生け花教室蓮心会高森 梨津子
 
極めつくせば芸道はすべて寿福を増進する
芸道のために精進するならば自他の寿福の増進が伴うが、自己の寿福を目指して努力するなら芸道は廃れてしまう
一切の芸道において、習い学ぶ事を反復した後に実行するという過程があるはずだ 世阿弥
 
人の生きていく道も俳諧の道も結局は一つである 松尾芭蕉
 
昔からいずれの道も、その道を受け継いでいる正しき私傷を求める熱意が必要 山上宗二
 
茶の湯も真を追えば、茶の道に至る。
道とは詮ずるに“私を越える道”である。
茶道は器を見る道であり、兼ねてまた用いる道である。
煮詰まる所まで煮詰まった時、ものの神髄に達する。
それが型であり道である。 柳宗悦
 
・道(タオ)とは
宇宙に貫徹する原理原則(すべてのものはこの法則にしたがう)であり、老子曰く、
「自分」などというものをすべて忘れ、無為自然に(この原理原則に添って)生きられたなら、それが最も人間にとって幸せな生き方なのだ。
 
・道(タオ)の描写①
すべてのものは「道」に従って生々流転しているが、「道」は
見ることも
聴くことも
触ることも
できない
 
・道(タオ)の描写②
道は「小(目立たない)」である。
一方で、偉大な働きをしているのに誇らないし、支配しようともしない。
公平無私で、聖人は道を知り実践しようとする。
故に「大(偉大)」である。
 
・道の描写③
上善は水のごとしという。
万物を潤し、器に沿って形を変える。
争ったり対立したりすることなく、自ら下方へ流れ、海へ出れば無限に広がる
世の中で最も柔らかいものだが、世の中で最も硬いものを突き動かす。(押し流す)
 
・道の描写④
道とは「経路(パス)」というよりはむしろ「通行(パセイジ)」にある。
道は道教徒の愛好する象徴竜のように己に返る。
主観的には宇宙の気である 岡倉天心
 
【問いかけ】
「○○道」を通じて得られるものとは?
またその達する境地はどのようなものだろう。
 
【探究】
ーーー
 
〇得られるものは、
 礼儀正しさ
 人との関係の在り方
 自然の摂理を知る事
 もののあり方を知る事
 
〇嘉納治五郎曰く、、
 柔術
 人の道を学ぶ術
 
〇達する境地は道理、真理
 
ーーー
 
〇個性を得られる
自分は昔字を書くことにこだわっていた。漢字の宿題に対してマス目を気にしていた。
書道とは真似ること。
道は真似て自分のできなさを知り、そこから個性を知る。
 
〇鍛錬を繰り返すことで自信がつく
↑実は、不器用な人はいないのではなかろうか。
 
ーーー
 
〇相手を敬う精神
茶道の場合、お招きした方が通る道以外には置き石のようなものを置き、お客様が茶室までたどり着くようになっている。
 又、ドアも数センチ空けておいて、お客様を歓迎している証を残す等。
剣道でも試合で勝ってガッツポーズしたら反則となる。
スポーツのように練習や行動によって、成長するのではなく、精神を鍛えて成長する。
 (例)黙想、作法など
 
〇 一つ一つの動作が意味あるもの。その意味は昔からブレない。
 (例)おじぎをするにも、角度によって意味が変わったり、目線を相手からずらさずにお互いに立礼したり。
 
〇私にとっての道とは。
昔の人々が修行されてきた方法や伝統などを真似たり、受け継ぐことによって、今を生きる私達に新たな成長をもたらす。
↑茶道は、しゃべらない言語ですね
 
ーーー
 
〇道(タオ)を極めると、現在を見るために役立つ。
↑老荘では”余計なもの”を排除しようと考えますからね。
↑くだらない≒すべては同価値→間違っているとか当たっているかとはないはず?
 
〇やり方、行いを客観視できることが身につけられる
 タオは生まれたての赤ちゃんのような状態
 
ーーー
 
【道とは?:漢字の由来】
”異民族の生首をぶら下げて歩くことにより、きよめを行う”形
*そもそも先端を歩む者には”道が見えてはいない”
 →狭い意味でいえば、正にパセイジ(≒歩むためのスタイル)
 
【道を通じて得られるもの】
覚悟(≒心身の鍛錬)
それなら仕方ない(楽しいではない)という気分
 
【どんな境地】
何が起きても動じない
 
【もし極めたら】
孤独(サイの角)
*沢山よいモノ(者・物)と交わって、孤独に進め
 
【その他道について】
それは大抵の場合、残ってしまうもの
 
【きわめてない人が道に関与しているか?】
時代精神、ソーシャルリアリティ、常識の話
 
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※仏教と雑念の関係性
 
【ファシリテーターより】
ファシリテーターを務めさせていただきました、木原です。
今回もご参加いただいた皆様に楽しんでいただけていれば何よりです。
今回の探究は武道と芸道、「道」についての探究でした。
私自身は元々老荘の思想には少し触れたことがあったのですが、そんな中で
 
・「柔道」と「茶道」みたいに、全く違う競技でありながら「道」の名を冠しているものってたくさんあるよなぁ
 
・この「道」って結局どういう意味なのだろう
 
・「道」の名を冠していることにはどんな意味(共通点)があるのだろう
 
とふと思いました。これはぜひ皆で考えたら面白そうだし、これを考えることで「○○道」に関する見え方が変わったり、生き方の探究にもなるかもしれない、と思い、今回企画させていただいた次第です。
 
ちなみに、、実は老荘思想の中でも実は「道」について正確に言語化することはできておらず(むしろ言葉にしたらそれは道ではない、などと書かれています…)、「道」とは非常に抽象的な概念だったので、これを探究し言語化すること自体めちゃくちゃ難易度の高いことだったのかもしれません。
 
☆以下少し、私見を書かせていただきます。
(この類の議論には本当に諸説あると思うので、あくまで一意見として捉えていただければ幸いです)
個人的には「弓道」がわかりやすいと思うのですが、弓術の達人はなぜ矢を的に当てることができるのか、ということについて考えてみます。
科学(物理)的に考えれば、もちろん理想の力加減・角度・軌道が存在するわけですが、なぜ達人はブレずにそれを実現することができるのか、ということです。これは老荘の思想から考えれば、弓道を極めた達人には一切の「無駄(≒理想形からのズレ、余計なもの)」が生じる要因がないということなのだろうと思いました。
 
仏教には「雑念」をなくしていく修行があるといいます。雑念は人の行動や選択に影響を与え、その結果人生にも大きな影響を与えるものなのですが、例えばもし、そんな「雑念」が一切なかったら、余計な動きをせず、余計なことを考えず、直感で理想の放矢ができるのではないかなと私は思いました。
 
人間も本来はこの宇宙に誕生した自然物なわけで、老荘的には当然「道」に従っているはず。けれども人間特有の「雑念≒エゴ」によってどんどん本来あるべき状態からズレていってしまう。そこで「○○道」ではその型を徹底的に極めることで、無為(一切の雑念荷影響されない状態≒自然に道に従うことができる状態)を目指していくのではないか。
 
これが今回自分なりに探究してみた考え方です。
今回も例に漏れず、非常に様々な考えが出てきて、私自身にとって大変学びになりました。
 
参加してくださった皆様、ありがとうございました!またやりましょう。
次回、第74回は
 
テーマ『正負両面から考える 安全保障(戦争)の謎』を予定しています。
(→物事には必ず良い面、悪い面がある。戦争といえば悪いものとして語られが
ちだが、なくならないのには理由がある??)
 
特別ゲストを及びしての探究となります!
今後もまた面白くて学びになる探究の場を実施してまいりますので、お楽しみに!