第107回「人はなぜ記録を残すのか」

第107回 探究型ワークショップ実施!
今回のテーマは「人はなぜ記録を残すのか」です

 

【今回の問いかけ】

人はなぜ「記録」を残すのだろうか。
また、現代のどのような情報がどのような形で1000年後に残るだろうか。
 
 

【参加者の意見】

インプットセッション時のトーク

 
>>多分後ろにある記録のほうが古いよね~
>>抽象画ってう落書き・・・
>>落書きも残れば歴史ですよね!
>>世界史的には、最近また死海文書が話題です。
*西遊記の作者は落書き好きだったらしく、捨て忘れた裏紙の落書きが研究されているそうな。。。
(黒歴史!?)
>>おお、死海文書!
*聖書関連の真贋や解釈は熱いですもんね~
(エヴァンゲリオンで再燃!?
>>エヴァもそうなんですが、
>>新しい巻物が見つかったことで、です。
>>実は紀伝体、アジアではメジャーなのですよね。
>>帝紀、旧辞が記紀以前に存在していたって言われてますよね
>>紀伝体(伝記形式)って人の人生を追えるので、学びとしてはよいですなー!
>>現政権に批判的なことも書いてあるのがすごい
>>この人のお陰で「歴史に恥ずかしいことをしない」という概念が中国で普及したそうな
>>稗田阿礼 もある意味 口伝?
>>暗記力すごすぎ!>稗田阿礼
*日本の歴史、全部覚えていたという話
 

グループトークでの意見・議論

 
(1)
日本には議事録や記録を公文書として残す伝統が存在しなかったのではなく、敗戦後、大量の公文書を焼却したうえ、その後の占領統治のなかで、議事録や記録をなるべく残さぬことが普通になっていった。
これはある面・・・・・
民間でもリスクマネジメントを構築するとなると、やれ文書化だ、やれ記録だと、いろいろ面倒なこと(?)を求められますよね。
なぜ記録を残さなければならないのか。
後世に残すためのアーカイブ化と言うと、ずっと後の歴史家のために、なぜ今の決済に忙しい我々がという官僚諸氏の不平不満が聞こえてくる。そうではないのだ。
今の決済や決定を明快に行うためにも、記録や議事録という同時並行的によりそうブツの存在が必要なのだ。そう、今やっている自分を、もう一人の自分がじっと眺めているとでも言おうか。
そしてそうした記録や議事録は、そう遠くない将来、同様のコトが起きた場合、まさにすぐさま応用が利く成果をもたらすはずだ。
 
(2)
歴史を紐解くと、
例えば、平安時代は、「先例」守って家を守るこの時期の政治は積極的にあたらしいい政策を進めることよりも、決まった仕事を過去の手順通りに行うことが重要視されていた。
先生の通り進めることが重要視されその人の朝廷での立場が評価ポイントだった歴史がある。
朝廷の地位に応じて、担当できる行事が決まっていた。自分の子孫が、将来自分と同じ立場、地位で行事を執り行う可能性が高い状況だった。
そのため、子孫のために日記に詳しく記録し、子孫にも日記を書いて伝えておくように言い残したという歴史がある。
 
>>日本における日記の役割
>>神様にちゃんとお祭りできないと世界が滅ぶ…
>>農業日記
⇒天文観察、周期観測の記録が日記になっていった…?
>>「録音していいですか?」と言うと、ヤバい相手は帰る。笑
>>PTAは、記録を残さない方向性、、記録に残すとヤバいから。笑
>>文字に残すとニュアンスが伝わらない?
>>記録することで情報の価値が下がるケース
>>書き残すことで“漏れる”
 
ーーー
 
・誰かの立場にたって,伝えることに何かしらの意味がある。
権威の継承、保全→歴史が捻じ曲がる。
 
・自分自身の感じたことの記録。主観的
 
・自分自身の興味。⇓
どう公平に見るか。真実を伝えたい。
 
・大量の動画、画像→そのまま残るのでは。
大容量で保存ができる…検索を書けると出てくる。
ネットに上がっているものが歴史になる可能性。
ラジオ,テレビ。
 
>>尊敬する人の一生をたどって学べる⇒紀伝体
>>デジタル遺産
(亡くなったあとの、SNSやPCの記録)
>>Googleなんかは、通知が来るようになっている
>>忘れられる権利
⇒犯罪記録消してくれぃ
⇒却下された
 
ーーー
 
なぜ記憶を残すのだろうか
・教訓
・感動の共有
1000年後
・本
 
>>歴史は繰り返す
>>感動の共有って、いいですね
>>教訓は大抵役に立たないということが歴史を意義という。。。w
>>歴史を学ぶ意義
>>失敗の記録⇒次の人はそれを選ばなければいい
 
ーーー
 
人はなぜ記録を残すのか?
問題を解決するために過去から未来を予測するため?
人は同じような失敗を繰り返すことが経験的にわかっていたから?
自分の遺伝子を残したいのと同じ気持ち?
未来から現在を見た時に思い出してもらいたいから?
現代のどのような情報がどのような形で1000年後に残るだろうか。
核戦争とかで一度全部消滅する?
誰かが残した電子チップをはめてみて当時の映像が流れる
 
>>記録を残す動物って、いるのだろうか
>>情報(フェロモン)とかなら沢山あるかも。。。?
>>賢い動物(カラスとか熊とか)は木に傷つけたりしますしね。
>>諸葛孔明はあえて弱い方についた
>>文化の断絶⇒文字がガラリと変わってしまう
>>ボイジャーの円盤
>>宇宙人に情報発信するうえでの最適解
>>ボイジャーのレコードは、劣化しないように金のレコードですよね?
>>最小作用の原理、でしたっけ??(最短ルート)
>>書は言を尽くさず、言は意を尽くさず
だから天は事象で法則をこの世に提示してるんだぜ
って易経に書いてありますね~
(そういえば、、)
 
ーーー
 
【人はなぜ「記録」を残すのか】
タイムマシンが欲しいから(過去との対話)
永遠に生きていたいから。(自伝)
生きた価値が欲しいから。(国の歴史、ミームの保存)
恩返しがしたいから(研究記録)
(不完全な)セーブデータが欲しいから。
あっと言わせたい、言いたいから(フィクション)
【現代の情報はどんな風に1000年後に残るのか?】
 
>残る種類
デジタルで”ない”もの
*シリコン使いつくしちゃう?
>保存方法
その時の感情と共に追体験できる。
(文字よりもリアル)
その時の環境そのものが保存される。
(風、大気組成、匂い、動植物の遺伝子)
>>過去との共有化
>>フェルマーですねw
>>インターネットって、要領無限に見えて、1000年スケールで見たら意外とそうでもない…?(使えるシリコンの限界)
>>より文字じゃないもので保存されていくようになる
>>みんな記録って残したい??
 
ーーー
 
「記録」として残すためではないと思う。
古くから口伝のものもきちんと伝承されている。
例)旧約聖書、イーリアス(ギリシャ神話)など
そこから考えると、なぜか、難しい。
言語の変換(翻訳)を容易にして、これまで以上に広く人に伝えることが目的か。
広く伝えるため?
単純に口伝の伝承が難易度が高かったから?
文字が発明されて、紙などができて、残すという行為を「簡単にした」ことが理由かも。
アイヌは文字がなかったからできなかった。
あとは、目に見えるほうが、証拠として(事実として)強い?
(どんな情報が、どんな形で)
あらゆるものが電子情報で残るだろうけど、
万が一プログラミング言語とかいまのテクノロジーなどが失われた場合は、単なる暗号のようなものが残るだけ?
失われるというか残し方が変わって衰退するとか。(今からみればパピルスとか)
それで劣化して(技術や文字が切り替わってしまって)、判別できなくなる。
ヒエログリフなどが当初読めなかったように。
1000年たつと、文明が滅ぶこともあるかもしれないですしね・・・。
たぶん記述の中にはくだらない話もあるはず。
日常のブログとか。
先日の小室さんの28ページの経緯説明の文書?なんかは、
1000年後の未来人は、がんばって解読してめっちゃ重大なものだと思われるかも(笑)
 
>>活版印刷術の登場とその普及は、ヨーロッパ社会とその文化に多大の影響を及ぼした、らしいです。
>>死海文書
>>外国語学習は今後どうなるのかな。。。
>>ロゼッタストーン
>>という英語学習ソフトがある
>>文字文化の発達が早かった地域の神話はつまらない(笑)
(文字=情報の固定化)
>>一方で、神様の言葉が伝言ゲームだと、ちょっとヤバい。
 
 

【ファシリテーターより】

今回もありがとうございまいた。ファシリテーターの木原です。
途中話題にあがっていましたが、記録を残した歴史家(?)たちが皆承認欲求でやっていたら、という想像は面白かったです。笑
一方で、例えば儀式の様式に関する記録などについて、
「当時の人にしてみれば手法を間違えたら神様を怒らせてしまい、世界が終わる」
だから正しく後世に伝える必要があったという視点も、とても印象に残りました。今回も様々な視点で意見が出していただき、お陰様でとても良い回になったと感じます。
 
今回のテーマは「記録を残す」ということで、皆で考え話していただきましたが、その中で「伝承・伝えること」そのものについても話題が及びました。結局のところ、一つひとつの記録について、それ(後世のための情報)を残した理由については残した本人に聞いてみないと分からないのかもしれませんが、一見すると人間だけが本格的な「記録」を残しているところを見ると、何か共通のモチベーションはあるのかもしれません。
 
今回の探究を作るうえで意識したこととしては、過去を振り返って考える際、
「我々は結果を知っているけれども、当時の人はそうではない」
ということです。過去を探究する私たちにとっては
「今に残っているもの=記録」
ということになりますが、そもそも当時の人にとっては、何が後世に残るのか分からない(残すつもりで書いているとは思いますが)ので、「記録」についてもまた後世の結果論なのかもしれないと思いました。
そこで今回の問いかけは、テーマそのものの問いに加えて一つ、未来の世界では、現代社会の何が記録として残るのかという視点を提示する正解のない問いを入れてみております。
 
1000年後に残る現代の記録、それは
ウェブの情報なのか、
本なのか、
文字なのか、
それともそれ以外の何かなのか、
これについても今回様々な意見が出てきており、
さらに掘り下げてみたいテーマだなぁと感じます。
 
ご参加くださった皆様、ありがとうございました!またやりましょう。
 
次回は第108回
「苦労はした方が良いのか」
を予定しております。
今後も楽しくて学びになる探究の場を実施してまいりますので、お楽しみに!