第115回 探究型ワークショップ実施!

今回のテーマは「なぜ働くのか?」です。
 
 

【本日の問いかけ】

なぜ働くのだろうか?
また仮に、生きていくのに十分なお金があれば、働かなくて良いか。
 

グループトーク

~インプットセッション~

>>ハタラキタクナイゼ…!
>>じゃあ働くのやめよう
>>たしかにー!
>>でも、より良くする方が楽しいという説も…(大盛りラーメンみたいに「自分のタイミングで食べる」のは楽しいのですよねー!)
>>大学院に進学したりする人はカウントされていないですよね
(確かに↑)
>>ネットとかの働く理由を見ると建前的なものが多いよね。。。
>>そうそう、キレイゴトが多いぜ…
>>旧約聖書的には、労働は罰ですね。
>>ちなみに「完全失業率」は職がなく、求職活動をしている人の率、なので、ただ働いてない人、というのはちょっとだけ正確ではないという話も。
そうなんですよー!>旧約聖書
↑引きこもりの社会問題ですね
>>労働は奴隷がやるもの、というのは「他の大切なことに時間を使う」という趣旨なのですよね(そして苦しいことは罰ということ)
>>名誉は無料だもんなあ…>士農工商
>>働かざる者食うべからず、は新約聖書(パウロの書簡)に出ていて、そこがプロテスタント的な解釈の基でもあるようです
>>人生は所詮は暇つぶしという話を聞いたことがある
>>「何もしないには長すぎる」ですね・
>>何もしないで狭い部屋に一人で閉じこもってみたが5時間ぐらいで精神が崩壊しそうになりました
>>マズローは元ネタになったインタビュー先がすごい人ばっかりなのに”一般的にこうですよ”と伝えられていることが多いなあ…
>>そういう拷問ありますw>何もしないで狭い部屋
 
 

~グループトーク本編~

なぜ働くのだろうか?
 
1.何に「幸せ」を感じるのか 例えば
* 労働の対価としてお金をもらう幸せ
* 「ありがとう」「あなたがいて助かった」と感謝される幸せ
* 仕事や働く場所があるという幸せ
* 自分の能力を発揮できていると感じられる幸せ
* 仕事をすることで大切な家族を支えられる幸せ
 
2.何に「やりがい」を感じるのか 例えば
* 自分の仕事が世の中の役に立つことでやりがいを感じる
* 自分なりのアイデアや工夫で働くことにやりがいを感じる
* 世間や会社の役に立つことでやりがいを感じる
* 成果を上げ評価されることでやりがいを感じる
* 職場から大切にされることでやりがいを感じる
 
また仮に、生きていくのに十分なお金があれば、働かなくて良いか。
「普通の大人ならば働くのが当たり前」と考える人がほとんどだと思いますが、人が働かなければいけない理由というのは、本来はありません。万が一働けなくなって貯金が底をついたとしても、生活保護を受給して暮らしていく方法も残されています。一方で世の中には、働かなくても生活はやっていけるけれど働いているという人もいます。「定年退職をしたがいまも働いている」「セミリタイアやアーリーリタイアをしたが再び仕事を始めた」などのケースです。 ボランティアも働いていると定義できるのか お金が発生しないと働いていると言わないのか?
 
>>働かなくていい⇒お金なくなったら働きに戻る
みたいな価値観もある
>>「やりがい」はどうすれば得られる?お金?
>>有志で集まった傭兵はめっちゃ強いが、福利厚生を充実させると士気が下がるかもしれない…
>>どうでもいいと思っていると、、お金をもらわないとやっていられない
>>「ありがとう」と言われない職業
 
☆ブルシット・ジョブ
>>自分たちでニーズを生みだしている業界
>>給料は能力へ支払う?それとも…予算で決まる?
>>でも高収入の仕事にはいわゆる「能力」の高い人が集まってくるのでは
>>高収入の仕事にはいわゆる「能力」の高い人が集まってくるというのはありますね。
>>給与月20万と月40万では経歴やスキルそのものが全然違います
↑たしかに「選抜」や「スキル」を考えると「投資額の高い方」が採用される傾向にありますね…
 
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ヒトの生活を送りたいし金欲しい趣味に金使いたい。
生きていくのに十分な金があっても働きます。
”その金”があれば生きていくのは全然できるけど趣味用の金が入ってなさそう
ex)好きな配信者にスパチャ投げたい 課金したいなど
 
なので生活用の金に”その金”を使って働いて手に入れた金を趣味用に全部回す。
 
>>風が吹けば桶谷が儲かる
>>働かないと昼夜逆転してしまう、、
 
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何故働くか(どうして働くか)
単純に:じっとしていると退屈
 
今どうして働いているのか
→仕事が面白い
→(F)苦労した後に得るものが大きい(金銭的・他社評価・自己満足的・)
→仕事が趣味になっている部分がある
 
(F)そう思う背景
子育て時代には〇〇ちゃんのお母さんとしか呼ばれなかった
人格ってあるのか?
そもそも女性は25歳までに結婚して家庭に入るという概念があった
一生懸命働く→貧しい、家計が苦しいというイメージがあった
 
若い頃、そこまでして働きたいと思わなかった。
ただし、実家が自営業だったので働かないとお金は手に入らない→考えはしみついていた
 
(F)あと何年かして体が動かなくなったとき
→あの時あの仕事は楽しかったなあと思いだせるように。今を過ごしている
 
十分なお金があれば働かないか?
→働く
→お金はいくらあっても良い
→自分が動いて働いて得るものが面白ければ働く。
→多分体が動かなくなるまで仕事していると思う
→組織の一人としては働けない
→世の中がそういう枠にはまらなくても働けるようになってきたのは嬉しい
 
>>政治家が横文字を使うとだいたいろくな政策ではないような気がしている
>>“「キャリア」という言葉は嫌い”
>>横文字=ろくな政策でない、、、。ですね(笑)
>>「OOでなければならない」ということからいかに脱却できるかが幸せに生きるコツ
↑そう思います
↑ですなー!
 
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なぜ働くのだろうか?また仮に、生きていくのに十分なお金があれば、働かなくていいか。
 
二番目の質問から。
私個人としては、生きていくのに十分なお金があっても「働く」ことはやめないと思う。
ただ今よりも少し自由に働けると思う
(価値がないと思うことはやらない、など。今は価値がないと感じとでも、大学業界で「生き残る」ためにやってることもある)
各地で行われているベーシックインカムの実験や仮定とした質問調査などでも、お金があるなら働かないと答えた人の割合はそんなに多くなかったはず。
ということは、働くということについて、(個人差はもちろんあるが)、お金を得ること以外にも何か価値を感じているということになる。
 
その価値は何か?
労働と仕事の区別。労働は、主体性がない。昔の奴隷労働の例は労働。
この区別には、お金のためかどうかはあまり関係がない。
現代社会でお金のために働いている人は「労働」に入るが、それはお金のために働いているからではなく、そこに主体性がないから。
David Graeber “Bullshit Jobs”
ー収入の高い仕事をしている人ほど、自分自身でその仕事を「くそどうでもいい」と思っている。
意義、意味のない(社会貢献など)仕事は、働くことに「価値」がないので、お金という「価値」でやっている。
逆に収入の低い仕事は「意義」があるものが多いので、それらの仕事に従事している人は得るお金が少なくてもそれをする。
ボランティア活動とかも同じ。同じことをしていても、金銭的対価をもらう場合をもらわない場合がある。
あとは基本的にはつくられた「働く」という幻想。
教育とか、メディアとか、世間の目とか、キッザニアとか・・・そういうものによる刷り込み。
ホームレスやニートは「社会的敗者」みたいな烙印を押される。
一定の職業についていると「成功者」としてもてはやされる。
肩書きもできるし、社会的信頼も得られる。
結局は人は他人に承認されたいので、そのために働く。
そしてその「働くことの価値」というのは、資本主義などのイデオロジーにつくれたもの。
 
>>人は地球最後の一人になったらどんな仕事をするんだろうね?
 
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働く理由とは?
・お金を得るために働く:56.4%
・生きがいをみつけるために働く:17.0%
・社会の一員として、務めを果たすために働く:14.5%
・自分の才能や能力を発揮するために働く:7.9%
→本当にそうなら実は全部無料でできることでは?
 
例えば最低賃金でも今の仕事をできますか?
実は「恐怖感からの逃亡」「自由からの逃亡」ではないか?
「生きるためだよ。だって働いてお金を稼がないと食べていけないでしょ」
→よく言われているが、真実ではない。
 
日本ではお金がなくて飢え死にする人はほとんどいない。
食べるだけでは人は満足できないのではないだろうか?
生きていくのに十分なお金があったら働かなくていいか?
→充実した人生を送るのに十分と本人が感じるお金があったらお金のために働くことをやめるであろう。
 
ただし、
「生きていくのに十分なお金」というのは常に変動していく概念であり、お金を稼げば稼ぐほど「生きていくのに十分なお金」はもっと必要と思うようになることも多い。
 
>>あるある!
>>自由は”基準を自分で作れる人”ですもんねえ
→激しく同意
 
ーーー
 
>働くとは何か?
誰かの不自由(の幾ばくか)を解消すること。
それによって自分の不自由(の幾ばくか)を解消してもらう権利を有すること。
*そうでないものは単なる行動(それがつらいなら苦役や拷問)
 
>何故働くのか?
世界に不自由があるから。
世界に他人がいるから。
生き物は死ぬから。
 
>何故よりよい労働があるのか?
価値の交換行為
人間には多様性があるから。
(比較優位の話:SM的ななんやかんや)
 
>働かなくてよいか?
いいんじゃない?
*でもそれは”十分なお金”があるときじゃない。
問題が解消されたとき。
すべての問題が解消されたら?
→それはもうヒトとはいえない何かになっている…かも?
 
>おまけ
アップルシードの”ガイア”システム(それでも人もAIも”政治”をする)
新女神転生3の”ムスビ”思想(完璧な世界は虚無)
ウチの近くのパチンコ屋さんの話(満たされれば次の…)
(世界には2種の船がある)
 
>>人間の悩みは最終的に人間関係に集約されるらしいですね
>>労働は価値の交換行為・・・資本主義は分業化による労働によって成り立っているという話を思い出しました。価値というよりはスキル?
>>自己完結・・・・・
>>余暇の追求?
>>寿命が通貨になるみたいな設定の海外映画を思い出しました。
>>自分でできないものに対して対価を払う?
 
ーーー
 
人間は社会性の生き物だと思うので、社会の構成員の一員であることを考えると、
「働かなくて良い」
という発想はなくなるのではないか。
お金が社会をつくっているわけではなく、人間の活動が社会をつくっている、という意味。
つまり、働かなくて良いという状態は起こらない、受け入れられない。
ただ、働き方が変わる、ということはあり得ると思う。
なぜ、働くか。
 
・基本は「生きていくため」
 その日の糧を得るのに働かなくてはいけなくなった(旧約聖書)
・働くことが神に認められている証になる
 ※与えられた役割を果たしている(カルヴァンの二重予定説)
 ※vocationやcallingの言葉の意味
 
働いくことが、神への奉仕(社会貢献)、
その証として結果、報酬を得ることは悪ではない。(富を蓄える)
⇒資本主義の原点(マックス・ウェーバー)
そのうえに、その得た富を寄付という形でさらなる社会貢献(神に選ばれているにふさわしいふるまいをする)というのが、キリスト教的な発想かな。
意外と自分はこの考えににしっくりきています。
(現代の、とくに日本の資本主義はこのあたり(寄付の文化とか)がちょっとオリジナルと比べてゆがみがあるかなと思うところです)
 
まとめると、
天命とか使命とかあるんだろうな、と。
働く理由は、そのあたりかな。
倫理観や哲学にも通じるように思います。
その仕事が天命かどうかの実感はあくまで主観で真実は「神のみぞ知る」だけど、取り組んでいることに意味を見出したり、そういう自己探究も「働く」ためには大切なことかなと思います。
 
>>日本にも寄付って言うのもあったんですけどね
>>布施の心もある
>>喜んで捨てる…!
>>衣食足りて礼節を知る
 
 

【ファシリテーターより】

今回もご参加いただきありがとうございました。
ファシリテーターの木原です。
終了後に少しそういったやりとりもあったのですが、今回の「なぜ働くのか」は今までで最も深いテーマの一つであったのかもしれません。なぜなら働く理由というのは一人ひとりに哲学があるからです。これまでの経験、学んできたこと、考えたことなどをもとに様々な意見を出していただきましたが「100%お金のためだ」という方はいなかったのもまた印象的でした。
※仮に「社会貢献のため(お金のためではないッ)」という意見があったとするならば、それに対して「それじゃあそれは最低賃金(無給)でもできるよね?」と問うてみるようなクリティカルな視点もありました。
 
一通り議論を終えた後、最後に、
「今日の参加者は皆さん仕事が好きな人ばかりだったので、仕事嫌いですって人がいた方がよかったね…(笑)」
という話もありましたので、第2弾をやることがあれば、これを読んでいる「仕事が嫌い」「ハタラキタクナイ」という方も是非ご参加いただければ幸いです。(笑)
 
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。またやりましょう!
次回は第116回「模造と代用」を予定しております。
今後も楽しくて学びになる探究の場を実施してまいりますので、お楽しみに!