第144回「優しさとは何か」

第144回 探究型ワークショップ実施!
テーマは「優しさとは何か ージェフ・ベゾス氏のスピーチよりー」です!
 

本日の問い

あなたの思う優しさとは何か?
 
 

探究

【優しさとは何か】
☆辞書的な定義
「心が暖かく思いやりがあること」
⇒つまり優しさとは人の“性質”
この前提で考えを進めてみる
 
☆人を殺したら優しくないか?
(優しい人は人を殺さないか?)
ーそんなことはない
 
○優しい人でも、状況次第では人を殺す
・やむを得ない状況
(仲間を救うため、祖国を救うため⇒山のフドウは子供たちを守るため鬼神となって戦った)
・介錯
(ワムウに胴体を半分にされてしまった青年に留めを刺してやったシーザーの行動は優しさによるものだろう)
 
☆人はいつでも優しいか?
ーそんなことはない
「暖かく、思いやりがある」
状態をろうそくに例えると分かりやすいかもしれない。
ろうそくの「人を照らし、温める性質」を優しさと置き換えてみる。
凍えている人を見たら
「明かりを灯さなきゃ」
と望むだろう。
しかしろうそくの性能次第で差はあるものの、
しけってしまったら火はつけられない。
つまり、状況次第で、優しくありたくともあれないことがある。
これはひとえに、本人の強さによるのではないだろうか。
つまり、「強さと優しさ」の関係
⇒強い人は、辛くても優しくあることができる
 
☆親切な人は優しいか?
ーそうとは言えない。
これは定義から明らか。
親切とは行動の種類。
その根底に他人を思いやる気持ち・あたたかさがこもっていなければそれは違う。
 
☆優しさは常に良い性質か?
ー違う
これも優しさをろうそくの火に例えてみると分かりやすいかも
・強すぎれば熱くまぶしい
・寝る時は明かりを消す
つまり、
相手が心地よく感じなければ優しさは優しさではない
 
☆優しさはさりげない
ろうそくの火にいつも感謝する人はすくないだろう
ろうそくは机の上でそっと灯っているもの
そこにある時は意識しないが、
ないと不安になってしまう
そんな性質
 
☆怖い人は優しくないか?ーそんなことはない
 
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優しさ、と聞いて出てくる一節があります。
「不良とは、優しさのことではないかしら」
太宰治『斜陽』より
かず子のセリフ。
弟の直治を思ってのセリフ。
たぶん、
不良っておくが深い。
やんちゃの不良っていう意味だけではなくて、
うまく生きられない人とかのこと。
直治の日記に
「不良ではない人間なんているのだろうか」
とあるのだけれど、
不良的な面は実は誰もが持っている可能性がある。
取り繕って生きられる人もいるかもしれないけど。
登場人物の直治は、
戦争から引き揚げ、家の金を持ち出し遊び惚ける、
最後は自殺。
直治は、
貴族出身なことも苦悩していて、
どことなく
繊細で傷つきやすい感じ。
だから、他人の不安や葛藤も分かる
という優しさがある
と解釈できたり、
不安や葛藤を紛らわすために遊びにふける(不良に見える)
とか、
太宰のこの一節は、
人間には弱さがあって、それを隠し切れない生き方もあるんじゃないか
隠しきれていない人は、もしかすると偽善にはなれなくて、自分の弱さを受け止めている強さがあるんじゃないか、
みたいな意味がある感じで、奥深いと思う。
意外と衝撃を受け、
モノの見方に影響をあたえてくれた文学作品の一節です。
個人的に、
優しい
⇒繊細
⇒生きにくい
⇒だから自殺?
みたいなのは、全然肯定しません。
これは強く言っておかないといけない。
でも、
そういう人が優しい人なのかもしれない、
自分を追い込んでしまう人は優しい人なのかもしれない、
と考えています。
 
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優しさとは?
誰のためになることをすること?
自分が損(と一般的に思える)ときに与えることができること?
自然に湧き出てくるもの?それとも教育?
絶対的に優しい人、絶対的に優しくない人はいるんだろうか?
優しさを受け取った人は人にも優しくなれる?逆は?
仕事で約束の時間に遅れそうなときに道端で鳩の死骸を見つけたらどうするか?
元気な10人を犠牲にして一人の病気の子供を助けられること?
 
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あなたが思う優しさとは何か?
「優しい」が流行の時代には厳しい人は白い眼で見られ、「厳しい」が流行の時代には優しい人は偽善者と罵られ、たとえ本物の厳しさや優しさを持っていたとしても、同調圧力によって排除されます。
戦後から日本で支配的であったのは、母性的な「優しさ」であり、最近ではその反動として父性的な「厳しさ」が持ち上げられつつあります。
  • 戦時の極端な父性的厳しさの社会に苦しんだ人達が、その反動(敗戦による180度転回を機会)として、民主主義的な自由と平等を旨とする母性的な「優しさ」(典型が宮崎アニメ)に一気に振れた訳ですが、結局、それは厳しさを完全に捨ててしまった優しさに行き着いてしまいました。
  • 怨恨(ルサンチマン)から生ずる感情的な反動は、必然的に行き過ぎを生じさせます。優しさも厳しさも等価であり、きちんと両方を持たないと、片側の車輪しかない車のように、同じところをグルグルと回り続けるだけです。
  • 行き過ぎた振り子は必ず返ってきます。しかし、それはまた反対方向へ行き過ぎてしまいます。色々なものがこの繰り返しをしていますね。人間の歴史は、その繰り返しではないでしょうか。
    (参考)優しさの語源「優しい」という言葉の語源
    「やさし (優し・恥し)」の意味は、
    「痩せるほどつらい、肩身が狭い、気恥ずかしい、慎み深い、優美だ、しとやかだ、おとなしい、けなげだ」
    などという状態を指す形容詞です。さらに言えば、痩せるの形容詞化(「痩す(動詞)」→「痩さし(形容詞)」)が始源です。初めは、痩せるほどの辛さや羞恥心を持つ人の姿勢を表す言葉でしたが、その外的側面(恥じらいや慎ましさ)のみがひとり歩きし、慎み深さや優美の意味にも使われるようになります。
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【貴方の考える優しさは?】
a.自分の大切なものを知って、
それを相手に尊重してもらうように伝えること。
b.相手の大切なものを知って、それを尊重すること。
c.ごめんなさいをいうこと。
d.できるだけ死なないこと。
 
”優しさ”が問題になることを回避できるような行動方針
(や考え方)を優しさと呼ぶとよい…かもしれない。
大人は無駄なことが大好き!
それは現時点では個性(喫煙とか)
それを知っていて、相手を害さないなら(私は)アリ派。
知らない、騙されているなどは
相手への損害度と上手い伝え方の有無で判断…しちゃうかも?
*たばこなどは説得が難しく、
伝えることで相手を著しく不幸にする可能性があるので、
上手く言えるかどうかを考える。
 
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ファシリも考えてみた!

自分を切り捨ててでも、他人のことを考えることができる思い。
他人を信じることへの願い。
ジェフ・ベゾス氏のスピーチ
→二つの視点
・言う優しさ
・言わない優しさ
どちらも、考えていることは自分ではなく、他人
→自分しかいない環境に優しさは存在するのだろうか?
→他があって、成立するもの
自分に優しい=自分という存在を別の何かに置き換えることで成立している。そうでなければ、優しくされているのは自分だが。優しくしているのは誰なのだろうか。
優しいの英語
→thoughtful、elegant、amiable、genial、cordial、affable、kind、gentle
→優しいって言葉は日本語だから一括りにできているのでは…
 

ファシリテーターより

今回もありがとうございました!
ファシリテータ―の山田です。
今回はテーマ「優しさとは何か ージェフ・ベゾス氏のスピーチよりー」ということで、優しさとは何なのかについて、皆さんと考えていきました。
今回の探究は、有名な卒業式のスピーチの一つであるジェフ・ベゾス氏のエピソードから、優しさというものが実際はどういったものなのかに興味を持ち、探究を通して考えていきたいと思い、今回のテーマを選びました。
今回も探究の中で、優しさとは何かについて、様々な意見や考え方が出てきました。優しさに対する解釈は様々でしたが、どの意見でも、優しさの根底にあるものは変わらないのだと感じました。優しさの根底にあるものは『他者のため』ということではないかと私は考えています。
今回出た意見の中で、人を殺したら優しくないわけではないという意見は、数ある議論の中で特に印象に残りました。
また、英語では優しいという意味の言葉は複数存在しているという話がありました。日本語では優しいの一言で表現できるのに、英語では様々な表現方法があることがここからわかります。その点は、探究を通し、いかに「優しさ」という言葉が曖昧であるか、というのを実感できる回だったと思います。
今回の探究で、「優しさ」について考えることは大変有意義な時間だったように感じます。
 
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
またやりましょう。
次回は、
1月21日(金)19:30~21:00
第145回「人と昆虫 〜食品パッケージの昆虫たち〜」
を予定しています。
引き続き、楽しくて学びになる探究の場を実施してまいりますのでお楽しみに!